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山田温泉YHの思い出
北海道・然別湖の北湖畔に今は無い山田温泉YH湖月園はありました。昭和49年ここで過ごした時間が私の人生を変え、沢山の友達を得ました。私の中で輝いているあの頃を懐かしく思い、このブログで思い出を共有できる人がいればいいと思っています。
プロフィール

わらじ

Author:わらじ
旅に出よう。
テントとシュラフの入ったザックを背負って
ポケットには一箱の煙草と笛を持ち
旅に出よう。
・・・・・・
歳のせいか、昔を懐かしく思う時が増え。
これから先の人生より、振り返った過去の方が長くなり、
『未だ人生を語らず』、と言って憚らなかったあの頃が少し気恥ずかしく思われます。

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湖月園について
山田温泉YH湖月園とは、然別湖の湖畔にたたずむあばら屋で、今ならとても営業許可など下りない施設でした。
電気も通っていなく、電化製品は冷蔵庫すらありませんでした。水道も沢からホースでひっぱて来ただけ、
そんな所ですが、唯一素晴らしいところは、湖の岸部に建っていることです。
部屋からの景色は最高で正面に唇山と白雲山が湖に浮かんで見えました。
早朝風のない日は、水面に映る唇山がその名の通り上下の唇になるのが見えましたし、朝霧の中に浮かぶ弁天島が現れては隠れるのを時の経つのも忘れて観ていたものです。
圧巻は満月の夜景でしょう。岸部を打つ微かなさざ波を聞きながら、黒々と横たわる山々と、それを照らす月明かり包まれているとその幻想的な雰囲気には圧倒されるものがありました。
この建物は数年後に取り壊されて、その後少し奥まった処に新たな建物を建てたようですが、これも、今では廃墟になっているようです。
あの水辺の湖月園に泊まったホステラーは、貴重な体験をしたことに気づいているでしょうか?
ミーティングの余韻そのままに、脇の桟橋に出て女の子とおしゃべりをしたり、星空を眺めたりしたことも
今では遠い思い出です。

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テーマ:北海道旅行 - ジャンル:旅行

あれから40年
私が山田温泉YHでヘルパーをしていた昭和49年から今年で丁度40年になります。あそこで知り合った友達も年を取り、最近孫が出来ておじいちゃんやおばあちゃんになった、定年で仕事も一段落したとか、そんな話題ばかりになりました。そういう私自身、気持ちは若いつもりでも、体力、気力の面で衰えを感じる時、老人と言われる年齢に近づきつつあると思う今日この頃です。そして思うのですが、もう人生の折り返し地点はとっくに過ぎていて、日本人の平均寿命からすれば残り僅かな所に来ているのではないか?さて、自分はこの先どれだけ生きられるのか?10年?15年?長くて20年,さすがに40年は無理でしょう。
そう思うと、残りの人生もっと真剣に考えなくてはと今更ながらに気づかされます。
今までの人生、20代は五木寛之の本に憧れてデラシネの人生とか放浪生活と気取っては、友達の所に居候したり、バイトで資金をためては旅に出て、定職にも就かず。周りの事を見もせず考えもしない様な気楽な人生を送っていたと思います。そして社会復帰と称して定職に就いてからも、仕事に追われ生活に追われて何も考えずに今に至って、残りの人生が後僅かと嘆いても仕方なく、出来る事といえば残りの人生をいかに充実したものに出来るかを考える事ぐらいです。さだまさしの歌にもある様に自分の人生の中ではいつでも主人公(クリックしてください)でいられるのですから、自分らしい物語をこれからも紡いで行く様に心がけていくしかありません。
それでは実際どうするのか?それは又次回


秘密の場所
ヘルパーをしていると、時々一人になりたい時があります。のんびり人に邪魔されずに本を読んだりそれこそぼ~と空を眺めていたい時があるのですが、そういう時に持って来いの場所がYHの近くにありました。それが、難破船です。前の項でイラストの説明図に書きましたが、肝試しの森を通り湖の岸へぬけると少し先に難破船があります。どういう経緯でここに打ち捨てられているのか分かりませんがけっこう大きな船で、岸に引き上げられた状態でかなり傷んでいましたが、甲板に人がよこになれる位のスペースがあり、ここに寝っころがって居ると、甲板の板の温もりや湖面を渡ってくる風が気持ちよく、さざ波が船を打つ音が眠りを誘います。ここで、自分一人の時を過ごしたのは、私だけではなかったと思います。

テーマ:旅の思い出 - ジャンル:旅行

ペアレントのアキオチャン
ユース・ホステルにはペアレントなる責任者がいるのですが、山田温泉YHではアキオちゃんなる人物がペアレントさんです。YHの経営はその名の通り山田温泉旅館なのですが、旅館とYHはかなり離れているので、まったく別物と云ってもいい状態でした。ペアレントは夕方ちょっと顔を出すていどで、YHに常駐しているのは我々居候のヘルパーだけで日々の運営も私たちに任されていたようなものです。とは云うものの実際には食事の人数やら金銭管理その他必要事項は毎日旅館のほうにお伺いを立てていましたので、その都度運営状況は報告されていたと思います。でも今考えると、誰がその役をしていたのか判りません。何故かというとヘルパーの中に責任者もしくは報告義務のある人物がいなかったからです。49年度の初めには前年度からの流れで、酋長さんがいたのですが、都合で抜けてからは中心的な人はおらず、私の知るかぎりユースの従業員として旅館に雇われたのは丁稚さんだけで、他のヘルパーはいつのまにか居ついてしまった人ばかり、まあ前年度居たヘルパーはそれなりに旅館側には認知されていたと思いますが、私から見ればふらっとやって来てそのまま居ついたとしか思えませんでした。私自身も、ドラさんに誘われて入ったのですが雇われた認識はありません。
本来ならばペアレントさんが総べてを管理し、そう云った仕事をすると思いますが。山田のペアレントはさて、何をしていたのでしょうか。体格も人柄も、大らかな人でしたが、私たちと話している時などは、つまらないギャグを言ったり冗談ばかり言っているような、つかみどこらのない人でしたが。やっていることは、営林署の下請け仕事をして、時々『お前たち、ちょっと手伝え』と言って私たちを土方仕事に刈りだしたりするところは、まるで手配師のような人でもありました。とてもペアレントとは思えませんよね。

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昭和49年の夏
上野発の夜行列車、八甲田に乗って一晩揺られ、青森から青函連絡船で函館へ
そこから、一晩夜行で札幌へ、周遊券を使っての旅があの頃の旅行でした。
周遊券が切れると、移動はもっぱら、ヒッチハイクでした。
あの頃の、北海道の人はおおらかで、快く私たちを乗せてくれたものです。
時には、食事をご馳走してくれたり、一晩泊めていただいたこともありました。
今では、思いもよらないことです。
そんな旅を続けて昭和49年の6月にドラさんに誘われて山田YHに行きました。
ヘルパーと云えば聞こえはいいですが、ようは居候です。
給料が出るわけではなく、寝る所と食事が付いているだけです。
ユースが忙しくなってくるのは、7月に入ってからで、それまでは、湖月園の修理やら、
営林署の下請け仕事などに駆り出され、土方仕事に精を出していました。
7月になると前年居たヘルパーがぼちぼちやってきて、にぎやかになって楽しい毎日でした。
7月半ばも過ぎ、学生が休みに入る頃からホステラーが、押し寄せる様にやって来ました。
8月になると、毎日お祭りのような有様で、よく素人の私たちに捌けたなと思うほど、
ホステラーであふれかえっていました。
落ち着いてきたのは、9月頃だったと思います。
はっきり覚えてはいませんが閉所が9月の終わり、10月には入っていなかったと思います。
でも、閉所式の次の日は、朝から雪で隙間だらけの部屋には雪が吹き込んでいて、
寝ている枕元に雪が積もっていて大変なことになっていたのは忘れられない思い出です。
そんな施設でよくYHが営業できたものです。
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湖月園のオープンに向けて建物の修繕中の風景




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