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山田温泉YHの思い出
北海道・然別湖の北湖畔に今は無い山田温泉YH湖月園はありました。昭和49年ここで過ごした時間が私の人生を変え、沢山の友達を得ました。私の中で輝いているあの頃を懐かしく思い、このブログで思い出を共有できる人がいればいいと思っています。
プロフィール

わらじ

Author:わらじ
旅に出よう。
テントとシュラフの入ったザックを背負って
ポケットには一箱の煙草と笛を持ち
旅に出よう。
・・・・・・
歳のせいか、昔を懐かしく思う時が増え。
これから先の人生より、振り返った過去の方が長くなり、
『未だ人生を語らず』、と言って憚らなかったあの頃が少し気恥ずかしく思われます。

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ユースの食事
あの頃のユースは何処でもたいした食事は出てきませんでしたから、食事が良いだけで話題のユースになりました。たとえば、朝食がパン食だったり、さんまが一匹出てくるとか、おかずが沢山付いてくるとか、そんな食事で噂になりました。今から思えば一泊二食で千円にも満たない料金だったと思いますから、食事に期待する方が間違いですが、それにしても山田の食事は酷かったと思います。ワカサギのフライだったか、から揚げかもしれませんが2匹とキャベツの千切りと白菜のおひたし、味噌汁だけだったように思いますし。朝食は小さな鱒の塩焼き一切れと味付け海苔とたくわんそれに味噌汁だったと思います。このメニューが毎日です。ごはんと味噌汁は湖月園の台所で作るのですが、おかずは1,5㌔離れた本館の旅館から運んでいましたから、数が足りないことがしばしばあり、その度にスタッフはめしだけという時がありました。その原因は、当時の予約ははがきが中心で電話での予約も多少ありましたが、ほとんどは当日のとびこみ客ばかりで、数が読めなかったところにあります。だから旅館の方でもかなり余分に用意していたと思いますが、その予想を上回る時があったのです。
そんな食事でも、誰も文句をいう人はいませんでした。あの頃の旅は美味しい食べ物より、もっと美味しい何かを求めていたように思います。
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テーマ:北海道旅行 - ジャンル:旅行


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