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山田温泉YHの思い出
北海道・然別湖の北湖畔に今は無い山田温泉YH湖月園はありました。昭和49年ここで過ごした時間が私の人生を変え、沢山の友達を得ました。私の中で輝いているあの頃を懐かしく思い、このブログで思い出を共有できる人がいればいいと思っています。
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わらじ

Author:わらじ
旅に出よう。
テントとシュラフの入ったザックを背負って
ポケットには一箱の煙草と笛を持ち
旅に出よう。
・・・・・・
歳のせいか、昔を懐かしく思う時が増え。
これから先の人生より、振り返った過去の方が長くなり、
『未だ人生を語らず』、と言って憚らなかったあの頃が少し気恥ずかしく思われます。

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ドラさんとの出会い
山田YHのスタッフになる前年、私は、然別湖畔でホテルの皿洗いと貸ボート屋でアルバイトをしていました。朝の皿洗いが終わると桟橋へ出て夕方までボートの受付をして、その後夕食の片づけと皿洗いをする毎日で、そんな日々の中で、ひげも髪の毛もぼーぼーにはやした人を桟橋の近くで見かけることがありました。見るからに胡散臭いその人は近くのお土産屋の人らしく時々桟橋の近くまで来ては煙草をいっぷく点けては帰っていきました。当時はヒッピースタイル全盛期で長髪にジーンズがあたりまえで見慣れてもいましたが、それでもこれは無いだろうというかっこうをしていて、ましてや客商売をしている人とは思われない服装で、その時はこの人と友達になろうとは思いませんから、話しかけることも無かったのですが、日を追うごとに挨拶を交わすようになり、ちょっとずつ会話も増えていきました。この胡散臭い人がドラさんで、彼は湖畔のお土産や【いわな屋】で働いていました。この【いわな屋】こそ山田温泉の経営のお土産やで、彼はそこの売り子でユースの案内係も兼ねていました。あの頃の北海道のお土産はバター飴と木彫りの熊と相場は決まっていて、木彫りの実演なども見せながら販売していました。【いわな屋】でも実演販売しており、木彫りの職人さんの横でドラさんがアシスタントを兼ねながら売り子をしていました。あの頃の北海道は観光バスがひっきりなしに観光地を訪れて、一大ブームとなっていて、お土産やはバスが到着するたびにてんやわんやの大騒ぎになり、大変な有様でした。そんな忙しい合間に休憩がてら桟橋に煙草を吸いに来ていて私と知り合ったのでしたが、10月には貸ボートも終了し私はよそへアルバイトを探しに然別湖を離れ、この時はただの顔見知り程度でドラさんとは別れたのです。
その当時の私は、山田温泉YHの存在すら知らずそこのスタッフになるなど夢にも思いませんでしたが、運命が私をそこへ引きずっていくようにその後ドラさんとはめぐり合わせていくのでした。
その年はスキー場のバイトで冬を越して、そろそろ次のバイト先を探さなければという時、あるYHに泊まりそのミーティングの時、あのひげ面に出会ったのです。大勢いるホステラーの中で一人異彩を放っているドラさんを見つけた私は、迷うことなく彼のもとへ行き話しかけたものです。そして然別で知り合った時は、そっけない態度で私の事を覚えているか定かでないのに、旧知の間柄の様に答えてくれたドラさんに私は虜になってしましました。
その時バイトを探していることを知ったドラさんは、山田YHのスタッフに私を誘ってくれて、その後6月には一緒に働いていました。
こうして、私とドラさんの長い友人関係が始まったのです。














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テーマ:旅の思い出 - ジャンル:旅行

秘密の場所
ヘルパーをしていると、時々一人になりたい時があります。のんびり人に邪魔されずに本を読んだりそれこそぼ~と空を眺めていたい時があるのですが、そういう時に持って来いの場所がYHの近くにありました。それが、難破船です。前の項でイラストの説明図に書きましたが、肝試しの森を通り湖の岸へぬけると少し先に難破船があります。どういう経緯でここに打ち捨てられているのか分かりませんがけっこう大きな船で、岸に引き上げられた状態でかなり傷んでいましたが、甲板に人がよこになれる位のスペースがあり、ここに寝っころがって居ると、甲板の板の温もりや湖面を渡ってくる風が気持ちよく、さざ波が船を打つ音が眠りを誘います。ここで、自分一人の時を過ごしたのは、私だけではなかったと思います。

テーマ:旅の思い出 - ジャンル:旅行

ワラジ編み
お楽しみアイテムその2、それがわらじです。そもそもわらじは、足に履いて使うものですが、山田YHでは、ミニチュアのわらじを編んであげたり、その作り方を教えたりしていました。ホステラーは連泊して、東雲湖や白雲山にハイキングに出かけるのですが、何処へも出かけずにYHでまったりしている人も結構居ました。そういう人を集めては、わらじ作りの講習をしていました。アクセサリー的な小さなものですから、手芸用の細い紐を用意してそれで編みます。馴れれば20~30分で編みあがるのですが、慣れないと小一時間かかり、暇つぶしには、もってこいでした。ですから講習とは名ばかりで、私たちのお遊びにホステラーを巻き込んでいたというのが実情で、これで沢山作ったわらじを女の子に配って居ました。そんな事情もあり私はわらじと呼ばれていました。

テーマ:北海道旅行 - ジャンル:旅行

惚れ薬
山田YHでは、ホステラー向けのお楽しみアイテムとして、惚れ薬なるものを作っていました。これは前年のヘルパーが作り出したもので、小さなビニール袋に近くの森の木から採ってきた物を詰めてホステラーにあげていました。効能は、『これを一つかみ煎じて、思いを寄せている人に飲ませると、たちどころにあなたに惚れてしまう。』というものでした。朝出発をするホステラーにあげたりして、話題作りのアイテムでしたが、特に女の子にはうけがよく、みなさん喜んでもらってくれました。何時の世も恋愛問題は女の子の関心事に変わりはないようです。この薬の正体は、針葉樹の枝に垂れ下がっているサルオガセという苔のようなもので、原生林の針葉樹には何処にでも付いているものです。これを、暇なとき採ってきて袋に詰めておくのです。雨など降って何もやる事がない日などみんなでせっせと作ったものです。冗談でやっている事ですから、信じる人はいなかったと思いますが、もし真に受けたら大問題になっていたかもしれません。ちなみに食べても毒ではないそうです。
もし、この薬をもらったことがある人は、ぜひコメントを下さい。効果があったか聞いてみたいです。

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きも試し
先にミーティングのおまけサプライズで、花火の事を書きましたが。今回はサプライズ第二弾、きもだめしです。
ユースは原生林に囲まれているので肝試しをするのには場所に困りません。ユースを少し離れれば、そこには文明の及ばない暗闇が私たちを待っています。湖月園の項の見取り図にも書きましたが、ユース前の広場を挟んで森の中にちょっとした小道があるのですが、ここを使って肝試しを行いました。建物に近いように思いますが、ユースの明かりはランプですので、森に一度足を踏み入れれば真っ暗に近く、肝試しを行うのには十分すぎるくらいです。そこに、男女ペアになって一回りしてくるのですが、足元を照らすのがちょうちん一つなのです。ちょうちんの明かりって手元を明るくするより、かえって周りの暗さを引き立ててしまい、肝試しの小道具としては持って来いでした。そして、たしかくじ引きでペアを決めたと思いますが、一組づつ森に入って行きました。森の前にみんな居る訳ですから、話し声やらでざわめいていて怖そうに思いませんが、ひとたび森に入ると、進むにつれて暗闇の気配は濃くなり、それだけ恐怖心も高まってゆきます。私たちヘルパーが何人か途中に潜んでいて驚かすわけですが、大したことをしなくても十分驚かせることが出来ました。森の前で待っている人たちは、森のなかから女の子の悲鳴が上がる度に笑い、出てきた二人も手を繋いだりして笑っていたものです。当然この後の会話の弾んだことでしょう。

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せんこう花火
山田YHのミーティングには、おまけがあります。その日の雰囲気の流れでミーティングの後、外に出て星をながめたりするのですが、サプライズで花火をする時がありました。打ち上げ花火ではなく、子供がよくやるような花火です。これを普通にするのではなく、立地条件を生かした場所、そう桟橋に出て行うのです。人数の多い時には桟橋に乗りきれないので、周りの岸部でする人も出てきます。風のない穏やかな夜、水面に映る花火は美しいもので、自分の花火を見ていても好いですし、周りの人のを見るのもきれいです。なかでも特にいいのが線香花火です。ただでさえ儚い火花が、水面に映るところを思い出すと、今でも胸に暖かなものが湧いてきます。
ホステラーたちのざわめきのなかにも、感嘆の声が混じって居たと思います。いつの世でも女の子には、この時の様なロマンティックなロケイションは好まれますよね。そして、そこに一緒に居られれば男の子も嬉しかったと思います。そうするとユースも人気が上がるとゆうわけで、ヘルパーはいろいろ趣向を凝らしていたのです。


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温泉の思い出
前にちょうちんを持って温泉に入りに行く話がありましたが、今回はその温泉について書きたいと思います。
山田温泉は無色透明で柔らかいいい泉質で、しかも源泉かけ流しの最高の温泉です。ホームページなど見ると、私たちが居た当時と同じ建物で、浴室もほとんど同じ写真がありました。浴室は広く浴槽もゆったりしていて、気持ちがよかったのをいまでも思い出します。私が話したいのは、その裏にあった別館の温泉です。本館の裏には、ヤンベツ川を挟んで別館があり。当時すでにこの建物は使われていなかったのですが、川岸に温泉があり、この温泉は浴槽の底が直に源泉で、石がごろごろしている間からぼこぼこお湯が湧いている泉好きにはたまらないものでした。三方に広く窓があり、四角く掘り込んだ浴槽には太い角材が周りを囲んみ、深さも胸下位まであり、温度もちょっと熱い位だったと思います。夜、川のせせらぎを聞きながら、ランプの頼りない灯りの中でここに入るのは、素晴らしいひと時でした。ちなみに浴室は一つですので混浴でした。しかし、この年の6月頃の大嵐により屋根が落ち露天風呂となり、何年後かには川の氾濫に飲み込まれて無くなってしまったそうです。ほんとに残念なことです。
chizu-bekan.gif

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ミーティングの貴公子
昔のユースでは、何処でもきまってミーティングとゆうイベントがありました。各ユース特色あるミーティングを開いていましたが、ここ山田YHでももちろん行われており、その中心にはかならず古事記さんが居ました。ミーティングでは、白雲山・展望山・東雲湖などのハイキングコースの説明から始まり、その日のホステラーのノリに合わせて進められていきます。それは古事記さんの軽妙なトークで進められていくのです。彼のミーティングは、今のバラエティのようにホステラーをうまく話に引き込み、その日のホステラー自身に話をさせ、それをねたに場をもりあげいきます。その巧みな話術は見事というほかありませんでした。またミーティングには、歌が付きものでしたが、みんなで歌うこともありましたが、歌の好きなホステラーさんがいれば、どんどん歌ってもらいますし、楽器が上手な人が居れば演奏してもらいます、それはまさにエンターテイメントと云ってよく、その度に聞き惚れていたのを思い出します。そうやって、楽しいひと時を毎晩過ごしていたものです。
この古事記さん夜はミーティング担当ですが、昼は一転、お土産屋さんの横でいかを焼いて売っているのですが、ここでも、得意の話術でいかを売り、おまけに、客引きまでしていました。
あの時の古事記さんは、ほんとに輝いていました。

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ユースの食事
あの頃のユースは何処でもたいした食事は出てきませんでしたから、食事が良いだけで話題のユースになりました。たとえば、朝食がパン食だったり、さんまが一匹出てくるとか、おかずが沢山付いてくるとか、そんな食事で噂になりました。今から思えば一泊二食で千円にも満たない料金だったと思いますから、食事に期待する方が間違いですが、それにしても山田の食事は酷かったと思います。ワカサギのフライだったか、から揚げかもしれませんが2匹とキャベツの千切りと白菜のおひたし、味噌汁だけだったように思いますし。朝食は小さな鱒の塩焼き一切れと味付け海苔とたくわんそれに味噌汁だったと思います。このメニューが毎日です。ごはんと味噌汁は湖月園の台所で作るのですが、おかずは1,5㌔離れた本館の旅館から運んでいましたから、数が足りないことがしばしばあり、その度にスタッフはめしだけという時がありました。その原因は、当時の予約ははがきが中心で電話での予約も多少ありましたが、ほとんどは当日のとびこみ客ばかりで、数が読めなかったところにあります。だから旅館の方でもかなり余分に用意していたと思いますが、その予想を上回る時があったのです。
そんな食事でも、誰も文句をいう人はいませんでした。あの頃の旅は美味しい食べ物より、もっと美味しい何かを求めていたように思います。

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ランプの宿 その2
初めにも書きましたが山田温泉ユースはランプの宿でした。よくランプの宿と云っても館内何処かに電灯が点いているものですが、ここ山田温泉ユースはそのようなことはありません。そもそも電気というものがありません。
だから、スタッフは薄暗い調理場で後片付けをよくしていましたし、受付カウンターでも会員証の整理やら事務仕事をランプの明かりでやっていました。トイレなど女の子は恐ろしかったのではないでしょうか?
そしてランプの厄介なところは、明るくないところばかりではなく、その管理が一番厄介なのです。
火を入れて各部屋に吊るしていくのですが、知らないホステラーはもっと明るくしようとして炎の芯をいじりますが、するとたちまち黒いすすが出始めてランプのホヤが真っ黒になり、もっと暗くなってしまうことになります。また何もしなくてもしばらくするとすすは出るもので、翌日には、掃除をしなければなりません。
これが一仕事なのです。数は12~3灯ぐらいだと思いましたが、全部をばらして、芯を切りそろえて、黒くなったホヤを磨かなければなりません。手は灯油と煤で汚れるし、またホヤ磨きはとくに大変で、外側は簡単なのですが、内側が問題です。棒に布を巻きつけて上と下から行うのですが、膨らんだ部分を内側から磨くのはちょっとやそっとの作業ではありません。でも、これを簡単にしかも楽しくやる方法があるのです。ホヤの口は狭く男の手では入らないのですが、女の子だと、すんなり手が入るのです。そこで連泊のホステラーの中で、手持無沙汰にしている女の子を見つけて手伝ってもらうのです。おしゃべりしながら楽しく仕事が出来て女の子と仲良くなれる、まさに一石二鳥ではありませんか、これもヘルパーの役得の一つですね。
そして磨きあがったランプに灯油をたして、組み立てれば仕事は終わり。
その後もおしゃべりは続くわけですが。

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ランプの宿
まず最初に思い出すのは、何と言ってもランプの宿ということです。
今は、大自然の中の何もないキャンプ場になっていることからも分かるように、
電気が送電されておらず、夜になれば、明かりはランプの灯火だけ、電気製品はほとんどありませんでした。
本など暗くて読むことも出来ず。夕食が済むと大広間で話をしたり、歌を歌って過ごしていたのを覚えています。
だからと言って、不便さはまったく感じませんでした。それよりも、仄暗いランプの下だとゆったりとして落ち着いた時間の流れを感じ、会話もおのずと弾んだのを覚えています。
だからか、ミーティングの時間になると自然とみんなが集まり大いに盛り上がりました。
その中心に居たのが、古事記さんでした。(古事記さんのことは、また別に書きたいと思います。)
そんな人のざわめきをランプの淡い光が包みなんとも幻想的な雰囲気でした。

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ペアレントのアキオチャン
ユース・ホステルにはペアレントなる責任者がいるのですが、山田温泉YHではアキオちゃんなる人物がペアレントさんです。YHの経営はその名の通り山田温泉旅館なのですが、旅館とYHはかなり離れているので、まったく別物と云ってもいい状態でした。ペアレントは夕方ちょっと顔を出すていどで、YHに常駐しているのは我々居候のヘルパーだけで日々の運営も私たちに任されていたようなものです。とは云うものの実際には食事の人数やら金銭管理その他必要事項は毎日旅館のほうにお伺いを立てていましたので、その都度運営状況は報告されていたと思います。でも今考えると、誰がその役をしていたのか判りません。何故かというとヘルパーの中に責任者もしくは報告義務のある人物がいなかったからです。49年度の初めには前年度からの流れで、酋長さんがいたのですが、都合で抜けてからは中心的な人はおらず、私の知るかぎりユースの従業員として旅館に雇われたのは丁稚さんだけで、他のヘルパーはいつのまにか居ついてしまった人ばかり、まあ前年度居たヘルパーはそれなりに旅館側には認知されていたと思いますが、私から見ればふらっとやって来てそのまま居ついたとしか思えませんでした。私自身も、ドラさんに誘われて入ったのですが雇われた認識はありません。
本来ならばペアレントさんが総べてを管理し、そう云った仕事をすると思いますが。山田のペアレントはさて、何をしていたのでしょうか。体格も人柄も、大らかな人でしたが、私たちと話している時などは、つまらないギャグを言ったり冗談ばかり言っているような、つかみどこらのない人でしたが。やっていることは、営林署の下請け仕事をして、時々『お前たち、ちょっと手伝え』と言って私たちを土方仕事に刈りだしたりするところは、まるで手配師のような人でもありました。とてもペアレントとは思えませんよね。

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ちょうちんの思い出
山田温泉YHのもう一つの名物が、ちょうちん行列、湖の岸部で何もない湖月園ですから、もちろんお風呂もありません。そこで、1,5 ㌔離れた山田温泉の本館まで入りに行くことになります。車での送迎などあの時代考えもおよびません。そして時間的に暗くなってしまうこともしばしばあり、街頭などない山の中ですのでちょうちんの出番となるのです。誰が考えたのかこれがなんとも風情があっていいんです。原生林の中の一本道をみんなでぶらぶらとちょうちんの頼りない灯りで足元を照らしながら歩いてゆくのです。見上げれば星の瞬きも鮮やかになり、温泉でほてった顔には、しんとした森の空気が心地よかったはずですし、もちろん女の子と仲良くなる絶好の機会でもあり。そぞろ歩きで帰ってきたホステラーの誰もが、満足げな顔をしていたと思います。

とわ云うものの、今から思うと湯冷めすることはなかったのでしょうか?若いってすごいことですね。


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お見送り
あの頃のユースでは、夜のミーティングと朝のホステラーを送り出すお見送りのパホーマンスが、
ひとつのイベントになっていました。当時は今のように車を使って旅をしている人はほとんどいませんから
湖畔行きと糠平行きのバスが来るとバス停は旗を振ってお祭り騒ぎです、なぜかといえば、出発する人はもちろん我々ヘルパーと当日の連泊者も加わるので、ほぼ総出でお見送りをしているようなものなのです。最盛期は毎日40人前後の人が宿泊していましたから、山の中の小さなバス停に突然人があふれかえって居るのですから、バスに乗っていた他の乗客はさぞ驚いたでしょうし、送られるホステラーも恥ずかしかったのではないでしょうか。方や送っているわたしたちはそんなことにはお構いなく、若さにまかせてはしゃぎまくっていました。
それに引き替えチャバイクのライダーはばらばらに出発していくので、わりと控えめだったような気がします。
あと湖月園には桟橋があってここに遊覧船がたまに発着することがあっり、この時も旗を振るイベントを欠かさずやっていました。
朝の行事にはもう一つあり。それが撮影会とそれに続くアドレスの交換会です。前夜のミーティングやその後のおしゃべりなどで知り合って、意気投合し仲良くなっても次の朝には別れていく、まさに「さよならだけが人生だ」と思いたくなります。ホステラーは荷物をまとめ受付で会員証を受け取ると、湖月園の前で写真を取り合って『写真が出来たら送るね』と住所を教えあっていました。今なら携帯でパシャリとやりアドレス交換して、はいっ、ていうところでしょうか?
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昭和49年の夏
上野発の夜行列車、八甲田に乗って一晩揺られ、青森から青函連絡船で函館へ
そこから、一晩夜行で札幌へ、周遊券を使っての旅があの頃の旅行でした。
周遊券が切れると、移動はもっぱら、ヒッチハイクでした。
あの頃の、北海道の人はおおらかで、快く私たちを乗せてくれたものです。
時には、食事をご馳走してくれたり、一晩泊めていただいたこともありました。
今では、思いもよらないことです。
そんな旅を続けて昭和49年の6月にドラさんに誘われて山田YHに行きました。
ヘルパーと云えば聞こえはいいですが、ようは居候です。
給料が出るわけではなく、寝る所と食事が付いているだけです。
ユースが忙しくなってくるのは、7月に入ってからで、それまでは、湖月園の修理やら、
営林署の下請け仕事などに駆り出され、土方仕事に精を出していました。
7月になると前年居たヘルパーがぼちぼちやってきて、にぎやかになって楽しい毎日でした。
7月半ばも過ぎ、学生が休みに入る頃からホステラーが、押し寄せる様にやって来ました。
8月になると、毎日お祭りのような有様で、よく素人の私たちに捌けたなと思うほど、
ホステラーであふれかえっていました。
落ち着いてきたのは、9月頃だったと思います。
はっきり覚えてはいませんが閉所が9月の終わり、10月には入っていなかったと思います。
でも、閉所式の次の日は、朝から雪で隙間だらけの部屋には雪が吹き込んでいて、
寝ている枕元に雪が積もっていて大変なことになっていたのは忘れられない思い出です。
そんな施設でよくYHが営業できたものです。
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湖月園のオープンに向けて建物の修繕中の風景




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